映画・ドラマのクレジット表記、企画から手元に届くまでの流れでほどく

Film production team setting up a scene on an indoor set with dramatic lighting. Uncategorized
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エンドロールを最後まで見ていると、聞き慣れない肩書きがずらずら流れてきます。「製作」「制作」「企画」「原案」「エグゼクティブプロデューサー」。どれも偉い人っぽいけれど、何をしている人なのか、実はよくわからないまま席を立っている人が多いんじゃないでしょうか。今回は、一本の作品ができあがるまでの流れを追いながら、それぞれの肩書きが何をしているのかをほどいていきます。

すべては「原作」か「企画」から始まる

作品の出発点には、たいてい二つのパターンがあります。ひとつは小説や漫画などの原作をもとにする場合。もうひとつは、最初から映像化を前提にオリジナルの企画を立てる場合です。クレジットで見る「原作」「原案」「企画」は、この出発点の違いを表しています。

原作がある作品では、原作者の名前がそのままクレジットされます。原案はもう少しゆるやかで、「アイデアの元になった」という程度の関わり方を指すことが多いです。企画は、まだ何もないところから「こういう話を映像にしたい」と持ち込んだ人、あるいはその立場を指します。

たとえば、ある制作会社の企画担当者が、新聞の片隅の記事を読んで「これをドラマにできないか」と思いついたとします。そこから原作者に許可を取りに行くのか、オリジナル脚本で進めるのか、方向性を決めるのもこの段階の仕事です。予算も出演者も決まっていない、いちばん自由でいちばん不確かな時期です。

ここで迷いやすいのが、「原作」と「原案」の線引きです。原作を大幅に改変した場合でも、契約上「原作」表記のままということもありますし、逆に設定だけ借りて「原案」にとどめることもあります。この違いは作品ごとの契約によるので、クレジットだけを見て改変の度合いを判断するのは、正直あまり当てにならないと思っておいたほうがいいです。

脚本ができるまでの、地味だけど大事な工程

企画が固まると、次は脚本づくりに入ります。ここでのクレジットは「脚本」と「脚色」の二つが中心です。脚本はゼロからセリフや場面を組み立てる作業、脚色は原作を映像用に書き直す作業を指します。オリジナル作品なら脚本、原作ものなら脚色というクレジットが多くなる、という理解でだいたい合っています。

脚本づくりは、プロットと呼ばれるあらすじの箇条書きから始まり、何度も直しが入ります。監督やプロデューサーの意見を受けて、ワンシーンまるごと書き直すこともめずらしくありません。この段階で作品の骨格の大半が決まってしまうので、脚本家は目立たないわりに影響力の大きい仕事です。

具体的な場面を想像してみてください。脚本家が三稿目を書き上げて提出したところ、プロデューサーから「主人公の動機がぼやけている」と差し戻しが来る。脚本家はそこから一週間かけて、冒頭のエピソードをまるごと入れ替える。こうしたやり取りが、公開の一年以上前から静かに続いています。

複数人でクレジットされている場合、「共同脚本」と「脚本協力」では立場が違います。共同脚本はほぼ対等に書いた場合、脚本協力はメインの脚本家を補助した場合に使われることが多いです。ただしこれも会社や作品によって運用が揺れるので、厳密なルールというより慣習に近いものだと考えておくとよいです。

現場を動かすのは監督だけじゃない

撮影に入ると、「監督」「演出」「プロデューサー」という三つの肩書きが前面に出てきます。監督は映像づくりの最終判断をする人、プロデューサーは予算とスケジュールを管理する人、この二つが車の両輪だと考えるとわかりやすいです。

映画では「監督」、テレビドラマでは「演出」と呼ばれることが多いのですが、これは呼び方の違いであって、役割はほぼ重なります。ドラマの場合、話数ごとに演出担当が変わることもあり、その場合は「演出:第1話・第3話 誰それ」のように分かれてクレジットされます。全体の統一感を保つ役目は、多くの場合チーフ演出やメイン監督が担っています。

ある撮影現場を思い浮かべてみましょう。夜のロケで雨のシーンを撮る予定だったのに、当日晴れてしまった。監督は雨を降らせる散水車を呼ぶかどうかを判断し、プロデューサーはその追加費用を予算内でどう工面するかを考える。同じ「困った」でも、見ている場所がまったく違うわけです。

ここで迷いやすいのが「監督」と「製作総指揮」の違いです。製作総指揮は現場よりもっと上の立場で、企画全体や資金面に責任を持つ役職を指すことが多く、実際の撮影現場に毎日いるとは限りません。有名な監督や原作者が「製作総指揮」として名前を連ねている場合、その人が直接カメラの前で指示を出しているわけではない、というケースはよくあります。

編集室で作品の印象は変わる

撮影が終わっても、作品はまだ完成していません。ここから編集、音響、音楽といった仕上げの工程に入ります。「編集」は撮影した映像を切ってつなぎ合わせる仕事、「音響効果」は効果音や環境音を作る仕事、「音楽」は劇伴を作曲する仕事です。

編集の力は、思っている以上に大きいです。同じ素材でも、どのカットをどれだけの長さで見せるかによって、シーンの緊張感はまったく変わります。二時間分撮った素材を最終的に十分のシーンにまとめる、といった作業もめずらしくありません。監督が編集にも深く関わる場合と、編集者にほぼ任せる場合とがあり、これは監督の作風によってかなり差が出ます。

ここで登場するのが「エグゼクティブプロデューサー」という肩書きです。これは製作総指揮とほぼ同じ意味で使われることが多く、資金調達や配信先との交渉、大きな方針の決定などを担います。編集内容そのものに口を出すこともあれば、まったく現場に姿を見せないこともあり、この幅の広さが「結局何をしている人なのか」というモヤモヤの原因になっているように思います。

たとえば、試写を見たエグゼクティブプロデューサーが「エンディングが暗すぎる」と意見を出し、ラスト五分だけ撮り直しになる、というようなことも起こり得ます。もっとも、これは作品ごとの力関係次第で、監督の裁量がかなり強い作品ではこうした差し戻しはほとんど起きません。

公開されて、あなたの手元に届くまで

作品が完成しても、それが劇場や配信サービスに並ぶまでには、もうひと手間かかります。ここで出てくるのが「配給」「製作委員会」「提供」といった言葉です。

配給会社は、完成した作品を劇場に売り込み、上映のスケジュールを組む役割を担います。作品を作る会社と、それを届ける会社は別であることが多く、同じタイトルでも「製作:○○」「配給:△△」と分かれて表記されるのはこのためです。テレビドラマの場合は「制作著作」という表記が使われ、これは番組の権利を持つ放送局や制作会社を示しています。

製作委員会という仕組みも、日本の映画やアニメではよく見かけます。複数の会社が出資し合ってリスクを分散させ、利益もそれぞれの出資比率に応じて分け合う、という仕組みです。エンドロールに会社名がずらりと並んでいる作品は、たいていこの形式を取っています。一社だけで大きな予算を背負うより、何社かで分け合ったほうが失敗したときの痛手が小さい、という発想です。

ちなみに、配信オリジナル作品の場合はこの流れが少し違います。配信サービスが企画段階から出資し、完成後は自社のプラットフォームだけで公開する、という形が多いからです。劇場公開を経ずに配信から始まる作品が増えているのも、この仕組みの違いが背景にあります。どちらが良い悪いという話ではなく、届き方の設計そのものが変わってきている、というだけのことです。

こうして見てくると、私たちが画面の前で見ている二時間なり一話分なりは、企画から届くまでの長い工程の、いちばん最後の断面でしかないことがわかります。次にエンドロールを眺めるときは、それぞれの名前がどの段階の仕事を担っていたのか、少し想像してみると面白いかもしれません。

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